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コラム

2007-03-20

カクテル・ホワイト・レディ

ここにパリのハリーズ・ニューヨーク・バーのカクテル・ブックがある。
以前から興味のあったミント・ベースのホワイト・レディの処方が記載されている。
ハリー・マッケンホーンがロンドンのシローズ・クラブで
1919年に創った処方は、こうだ。

「レモン・ジュース1/3、ホワイト・ミント1/3、コアントロー1/3をシェーク」


ミントとコアントロー同量とは、自分には、想い付かない処方。
造ってみたら、絶妙のバランスで素晴らしい。
ミントのカクテルで、グラス・ホッパーという素晴らしいカクテルがある。
グリーン・ミントとホワイト・カカオと生クリームを同量。
リキュールのみでバランスの好い逸品。
1919年のホワイト・レディーも飲めば飲むほど良く出来ていると想う。
創作者のセンスの良さに素直に敬服致します。
そして、自分は、この1919年作ミント・ベースの処方のカクテルを飲んだ時に
こちらの方がジンベースのものより、
「ホワイト・レディ」というイメージにピッタリだと感じた。

カクテル・ブックには、こう続きがある。
パリのハリーズバーにて、1929年には、
「ジン1/3、コアントロー1/3、レモン・ジュース1/3」に変えたとある。

何故?ジン・ベースに変えたかは、定かではない。
もしかしたら1920年代というのは、
米国禁酒法により、大勢の米国人がヨーロッパに流出した時代。
勿論、パリのハリーズ・ニューヨーク・バーも
現在でも巴里のアメリカ人達で溢れている。
つまり、米国人の嗜好に合わせ、ジン・ベースにしたというのも容易に考え付く。
その真偽は定かではない。



WHITE LADY

  第一次世界大戦(1914~1918年)後、
ロンドンのサボイ・ホテルのバーテンダー“ハリー・クラドック”が
スコッチとジンジャー・ワインをステアーした飲み物を
『ホワイト・レディ』として 出していた(現在はウイスキーマックの方が通りがいい)。
“ハリー・クラドック”は後の1930年、
あのサボイのカクテル・ブックを書いたその人である。
又、1919年同じくロンドンのシローズ・クラブのバーテンダー
“ハリー・マッケンホーン”がペパーミント・ベースの『ホワイト・レディ』を創案。
この ”ハリーマッケンホーン”は、
あのハリーズ・ニューヨーク・バーを仏国パリで開く人である。
そして、彼は1920年代後半には、現在のジン・ベースの『ホワイト・レディ』を完成した。
そして、1931~1933年の間に、ブランデー・ベースに改案し、
顧客の乗用車にちなみ『サイドカー』と名づけた。
この『サイドカー』もかなりの説があり、第一次世界大戦中にできた説が数多くある。
それを改案したのが『ホワイト・レディ』ともいわれている。
もう一説1920年サンモリッツ・ホテルにも『ホワイト・レディ』というカクテルがあった。
いずれにしろ『ホワイト・レディ』なるカクテルは、
米国が禁酒法時代ヨーロッパに渡ったバーテンダーなどによって
1920年代に創られた名作であろう。
80年以上の時を経た謎のカクテルを一杯いかがかな。

by 木本 伸二